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2024年1月7日 礼拝
説教概要
光を放て
小泉 美早子牧師
詩編94篇
穏やかではありません。神に報復を訴えているのですから。実はこの激しさも、神が正義を実現して下さいますようにとの期待の表れなのです。この暗闇の中で、踏みにじられている者の側に詩人は立ちます。主よ、光となって下さいと。
私たちの時代にも闇があります。弱い立場の人が踏みにじられ、世の中など弱肉強食だ。こういうものなのだと悟りきってはいけません。悲しいことに私たちは慣れてしまいやすいのです。どれだけ悪が繁栄しているように見えようと、そんなものは一瞬のことに過ぎない。むしろ、主のみ言葉から教えられる人は、どういう災いが押し迫ったとしても、心の深いところに平安が与えられるのです。
み言葉のうちに心に平安を与えられ、黙って主を待つことはできないのでしょうか。焦らず、慌てず、主がなさろうとすることを見届ける。主が働く余地を想定する。祈りから生まれる姿勢。
ただこの詩人は、いつも沈着冷静だったわけではありません。わたしの足はよろけていますと告白しています。彼は足がよろける悲しみを知りぬいている人なのです。しかし、そのすんでのところで神のいつくしみに支えられてきた恵み。そういう体験を通ってきた者としての祈りがここにはあります。
神は足がよろけそうになる人の神なのです。わたしが転ぶはずがない。つまづくわけがない。挫折など無縁だ。こう豪語する者には神は不要でしょう。むしろ不信仰に流されそうになる弱さのさ中に主の支えの手は伸ばされます。ならば、相手をゆるせと強引に強要することもないのでしょう。事実、詩人は自分でもまだ整理できない激しい感情も闇もかかえたまま、神と向かい合います。大丈夫です。それでいいのです。今は光なる主を待ち望め。
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