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2023年12月3日 礼拝

説教概要

安らかに去る

小泉 美早子牧師

ルカによる福音書 2章22~35節

もう死んでもいい。そう思うほどの心の満たしに憧れます。裏を返すとこのままでは死ぬに死ねないというシメオンの叫びです。彼はイスラエルの慰めを長年待ち望んでいます。救い主を見るまでは死を見ることはないと聖霊に告げられていたのです。長い人生、何人もの自称救い主が彼の目の前を横切り、通り過ぎっていったのかもしれない。しかしそれは主の救い主ではなかった。

 

信仰生活においては、時としてこのようなうえ乾きが起こるものです。自分に与えられた深い使命を自覚するほど、どうしようもない心の飢餓感に悩まされる。聖霊が宿っているとは、正しく信仰深いとは、これで十分と満足する心とは違うのではないのか。このままでは死ぬに死ねないと、聖なるものに憧れ、御霊とともに祈りながら呻くことではないのでしょうか。

 

人となられた神。しかも貧しい赤子の姿で現れて下さった神。 今も主は普通の姿で、平凡以下の形で、日常の延長に訪れて下さいます。何も特別で異常な出来事を待つことはない。それを悟った瞬間にシメオンは手放します。今までの人生の苦しみも、辛さも、悲しみも、やるせない心も。神の恵みの重みをその両腕に抱きかかえるために。今まで背負ってきたものをもう手放してもいいのです。この方にお会いしたなら。

 

クリスマスは信じられない驚きに満ちています。しかし主には力があります。倒れた者を再び立ち上がらせ、歩ませる力が。それは剣で刺し通されるようなどんな悲しみや痛みでさえ、奪い去ることのできない慰めなのです。実際、教会は今まで何人も立ちあがる人を見てきた。慰められる方を見てきた。あなたがうえ乾きの中にあるなら、クリスマスはそういう人のためにあります。主の慰めに出会うなら、立ち上がれるのです。何度でも。

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