2021年12月5日礼拝会

説教概要

「救いの達成へ」内川寿造牧師

ピリピ人への手紙2章12節~18節

 私たちが体験したキリストの救いには、三重の意味がある。
 過去の罪がゆるされ、すでに救われている。現在の罪もゆるされ、救われ続けている。やがて再臨の時に完全に救われ、栄光の体に変えられる。


 さて、今日のテキストのテーマは「救いの達成」である。ピリピ2:12は「そういうわけですから」で始まる。それは前項のテーマであるキリストの模範を指している。
 神と等しいキリストが人間となり、しもべとして父なる神に従い、十字架の死に至るまで従われた。この「従順」こそ、救いの達成の鍵である。救いは信仰によってのみ、と主張して来たパウロが、ここでは人間の良きわざ、努力を勧めているのだろうか。否である。

 12節と13節を切り離して読むと誤った結論になるが、12節と13節は連続して読まねばならない。そうすると、「神」が主語で、人間は主語ではない。「神は、みこころのままに、あなた方のうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」この「志」や「事」とは第一義的には、救いを意味している。


 救いの達成とは、言い換えれば「信仰の成長」である。信仰の成長には二つの面がある。
 ①内面の変化、人格の成長、キリストの姿に似ること
 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられ、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(コリント第二3:18)
 ②外面の成長
 「非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちの言葉をしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです」(2:15~16)
 私たちは、使命を与えられている。その使命とは、世の光として輝くことである。その使命は「いのちの言葉」・福音を伝えることで果たされる。


 ピリピ教会の成長が、伝道者パウロの喜びであり、誇りである。「そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」(2:16)続いて「殉教」の覚悟を語り、しかも、それを喜びとしていることを四回繰り返している。福音宣教に命を懸けている者の喜びである。
 私たちもパウロと共に喜びつつ、救いの達成を目指して行こう。