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2023年11月5日 礼拝

説教概要

生きる力

小泉 美早子牧師

詩編92篇1~15節

詩人は礼拝に来るのが楽しくて仕方がないのです。朝に夜にとあるように何日も祭りで様々な楽器を奏でて賛美したのでしょう。何がそんなに楽しいのでしょうか。主の救いが、です。その主にお会いする以上、歓声の声になるのも無理はありません。

 

誰も貴重な人生を楽しく生きたい。とは言え、その場だけ刹那的に憂さを晴らす程度でいいのでしょうか。必要なのはもっと深い楽しみです。恵みを数えれば数えるほど、人生を重ねるほどその喜びは日を増して深まっていくことでしょう。

 

人生にわずらいが全くないわけではないのです。神なき悪人が栄えているように見える現実は確かにあるのです。人間関係のつらさもありましょう。もっともその事実そのものによって振り回されることもない。かえって確信に満ちて、主が今のままで終わらせられるはずがないと告白するのです。

 

理由は主のいのちの力に満たされていく実感があるためです。角は古代の世界では力と救いの象徴。新しい油とあるように、主からしか頂けないものが加算されていく。どこでかというと礼拝でです。神を賛美する場においてです。礼拝においていのちにあふれていく。充電や給油のように。主のお取り扱いの中で。

 

生きるとは力のいることです。いのちをすり減らす脅威は満ちています。生きる力は自分に何一つ根拠を持たない。力はただ主からやってきます。主を仰ぐことなしに生きる力は得られません。

 

しかし主の義の支配に生きる者は、年を経ても実を結ぶのです。なつめやしや杉のような成長があるのです。もっとも年齢とともに肉体の衰えは避けられません。それこそ人生の本質に目覚める時です。主とともに老いゆくなら、より深い、円熟された喜びはそこにあります。

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