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2024年10月27日 礼拝
説教概要
生きる要の希望
小泉美早子師
テモテへの手紙第一6章11節ー16節
神の人よ。パウロはテモテをこう呼びます。旧約聖書では預言者を指します。神の言葉を語るために金銭を愛することを避けるのです。
しかし、避けることを意識しすぎて身動きがとれなくても困ります。従ってもっと前向きに神の人として求めるべきものを挙げるのです。正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和。それを得ようと熱心に祈り求めることが神の人として生きる鍵なのです。
それを会得するには最後まで走りぬく必要があるでしょう。それは戦いと呼ばないといけないほど激しいものです。永遠の命がすでに与えられていることは確かです。ただ永遠のいのちがもたらす約束のひとつひとつをすべて自分のうちに獲得する生き方が念頭にあります。信仰の歩みに必要な装備を与えようと神は望んでおられるのですから。
大切なのはどこに目を注ぐかです。イエスキリストに目を向けるのです。主イエス様は十字架を前にポンテオピラトの前で立派な信仰告白をなさった方ではありませんか。この方に倣うのです。私たちも洗礼の際に信仰告白をしたはずではありませんか。その告白を最後まで保てるように助けて下さる主がおられます。自分に与えられたレースを途中棄権をしてはなりません。
やがて、時がくれば神が再臨の主を出現させて下さいます。地上のすべては過ぎ去っていきます。あらゆる力でさえも一時的なものです。その日が来ればただ主だけがすべてとなって治めて下さいます。私たちはその日の到来を待ち望みます。このような喜ばしい希望が心にあるのですから、たいていのことには耐えてみせましょう。しおれていた心をもたげ、顔を天にまっすぐ上げて。神の人とはこういう人なのですから。
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