2022年10月9日礼拝会
説教概要
選びに応えて
内川寿造牧師
サムエル記 第一 16章7節
サムエル記は、士師の時代が過ぎて、いよいよイスラエルに王が登場する経緯を描いた書物である。サムエルの誕生から始まるので「サムエル記」だが、内容は「ダビデ伝」であり、ダビデが主人公である。
サムエルは16章でダビデに油をそそいだ後姿を消し、19章に一度、28章に死後の話が一度出てくるだけである。
ダビデは「愛される者」の意味で、神と人から愛されたイスラエル二代目の王である。
16章にはダビデが王に選ばれたいきさつが記されている。ダビデは「その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿も立派だった。」(16:22)「琴が上手で,勇士であり、戦士です。ことばには分別があり、体格も良い人です。主がこの人とともにおられます。」(16:18)と好意的に評価されている。
しかし、サムエルがエッサイの八人の子どもの中から、サウルに代わる次の王を選びに来た時、はなから相手にされず、羊の番に出されていた。サムエルは長男エリアブを見た時、この人こそ油注がれる者だと思った。
だが主は仰せられた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが主は心を見る。」(16:6~7)
直訳すれば「人は自分の目によって物を見る。しかし、神はご自分の心によって物を見る。」となる。
ダビデが選ばれたのは、彼の人間的な素晴らしさが理由ではない。神の心、恵みに満ちた一方的な選びである。
「この者がそれだ。」(16:12)「わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ。」(出エジプト33:19)
さらに心を見るとは、神との関係を見る、信仰を見ることである。
ダビデにも欠点が多くあり、失敗もある。しかし、神に対する信仰はゆるぎなきものであった。
私たちも、ただ、神のあわれみにより、恵みによって、選ばれ救われたことを感謝しよう。選ばれた目的は、神の選びに応えて、使命を果たすためである。一人一人に与えられた賜物を生かし、働かせて、神と人に仕えるのである。
ダビデは油注がれて王となり、神の民を正しく治める使命が与えられた。そのために13年間、苦難の中で練られ、鍛えられ、成長する訓練が与えられた。
信仰が自己目的化し、自己満足に陥ってはいけない。内向きにならず、常に外に開かれ、賜物を生かして誰かの役に立ちたい。主イエス様のように「仕える者」として愛、時間、労を惜しまず捧げよう。