2022年10月23日礼拝会

説教概要

信じて生きる

内川寿造牧師

創世記 23章4節

 創世記23章は、聖書の中で最初に出てくる「葬式」の記事であり、1章全体を割いて「死と葬りについて」記している。
 葬りと深い関係にある墓地の購入についても詳しく記録されている。初めがあれば終わりがある。「人の子よ。生きよ。」と神に言われて誕生し、「人の子よ、帰れ。」と言われて死んで行く。
 死後の葬式や葬りを厳粛に行うことは、その人の尊厳を保つ上で重要である。聖書では、葬られない、野ざらしのまま犬や鳥に食われるのは、呪われた者である。
 「ヤロブアムに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食い、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」(列王記第一14:11)ヤロブアムは、反乱を起こしてイスラエルの国を二分し、北王国を建てたが、偶像礼拝を導入し、国を堕落させた。かくも忌まわしく悪しき王であったと強調されている。


 さて、23章は具体的には、サラの死と葬りの記録なのだが、この時サラは127歳。夫のアブラハムは137歳。一人息子のイサクは37歳で未婚。
 サラが新しい約束の地カナンを目指して旅立ったのは65歳の時だから、人生の半分の62年間を旅人、寄留者、土地を持たない異国人として過ごして来た。
 更に名前をサライからサラ(王女)に改名された。「わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出てくる。」と約束された(創世記17章16節)
 しかし、この約束の実現を見ることなく生涯を終えた。星の数ほどの子孫が与えられると、永住の土地が与えられるとの二つの神の約束の成就を自分の目で確かめることは叶わなかった。ただ信じ貫いたのだ。
 そこでアブラハムは、墓地を購入し、ここにサラを葬ることによって、サラがいかに生きたか、ただ、ひたすら神の約束を信じ、それに支えられて歩んだ彼女の人生のメッセージを伝えようとしたのだ。へブル11;11は、サラを信仰に生きた人と称えている。


 さて、葬儀や葬り、記念会の目的は三つに集約される。
①神を崇める礼拝である。生命を与え、人生を導き、使命を全うさせてくださった神を称えるのである。
②残された遺族を慰め励ます時である。故人は今神の御手の中で安らい、やがてキリスト再臨の時に栄光のからだに変えられる希望がある。
③自らの死に備える時である。いつか私も終わりの時を迎える。
 自覚を新たにして、悔いのない毎日を過ごしたいものである。神と共に歩もう。