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2023年10月8日 礼拝

説教概要

女性が教えてはいけないのでしょうか

小泉 智牧師

テモテの手紙第一2章11~15節

女性が教えてはいけないのでしょうか。パウロは差別主義者なのでしょうか。しかし女性は教えを受けよとあります。ラビが女性の律法の学びを禁じた中、パウロは女性が律法を学ぶのは当然の権利だと言うのです。学ぶには静けさが求められましょう。

 

そんな彼が女性は福音を教えるなと説くはずがありません。テモテも祖母や母から福音を教わったのです。女神の神殿があるエペソは、巫女や女性神官を多く抱えています。パウロはこの影響を受けた女性が教会で幅を利かせ奇妙な考えを教えるのを禁じます。

 

創世記のアダムとエバの物語が他宗教と混ざり、エペソに伝わっていました。神ではなくエバがアダムを創り、命を与えたと主張され、女が男に禁断の実を与え、男は啓示に目が開かれたと言うのです。まるでエバを女神扱いです。

 

聖書の証言にない話です。だからパウロはエバが惑わされ、過ちを犯したと修正を迫ります。女性が男性に啓示を与えるのではない。キリストだけが仲介者です。今も福音が伝わる地域で、聖書と他宗教が混ざる現象が起こります。聖書の証言に耳を傾けましょう。

 

彼らは結婚や妊娠も肉体を汚すと言います。子を宿す者は救われないと、結婚を禁じます。独身女性や子のいない女性は救われないと言うのではありません。結婚し、子どもを宿した女性が救いの恵みから漏れないと励まします。子育てを下に見る発想自体が間違いです。

 

今も人を救いに導き、信仰成長に力を貸すのは出産や子育てに似ています。その奉仕を通して救われた私たちの成熟も起こるのです。

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