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2023年1月29日礼拝会

説教概要

主との契約を選び取るために

長谷川忠幸師(境港キリスト教会牧師)

申命記 5章17節~22節

 旧約聖書において、イスラエルの民が異教の神々に心を寄せる様子が何度も描かれている。何故彼らは他の神々を慕い求めるのだろうか。
 この疑問は、自分は他の神々を慕い求めていないという自負を前提としている。しかし、他の神々を慕い求めることは多くの信仰者が抱えている問題なのである。

 旧約聖書において、主なる神以外の神々を慕い求めることは、自分の欲求を満足させることと同義である。例えば、自分を辱めたり虐げる者に復讐をしたいという思いを満足させようとすると、罪人を赦す神よりも、罪を赦さない復讐の神を慕い求める。言い換えると、「許さない」と宣言した瞬間、私たちもまた主とは異なる神々を慕い求めているのである。
 私たちは、そのようなわけで神が命じている愛と憐れみ、寛容と忍耐よりも瞬間的に生じる様々な欲求を満たすことを求めてしまう罪の性質を有しているのである。その罪の性質を覆い隠すために怒り、妬み、誇り、蔑む欲求を満たす振る舞いを、聖書の教えを引用し正当化する。
 こうして、私たちも主イエスに聞き従う信仰とは似て非なる歩みを選択する誘惑にさらされているのである。


 では、どうしたら日々主イエスに聞き従う生活をすることが出来るのだろうか。それは、そのような動物的な罪の欲求に翻弄される私たちを、主イエスは見捨てることなく伴い続け、今日も救いの道を教え続ける主イエスの愛を覚えるとき、私たちは本来のあるべき振る舞いを選択することが出来るのである。
 今日も、主イエスの愛によって神につき従う民とされたことを覚える信仰を祈り求めよう。

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