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2024年1月28日 礼拝

説教概要

信仰と不信仰の境界線

長谷川 忠幸牧師

民数記20章1~13節

神を信じる者であるからこそ許せない罪があると思う。それは、罪ある者を慈しむ神の愛を踏みにじる行為である。神から受けた大きな恵みをもって自堕落な生活を選んだり、主に従うよりも死んだほうがましだなどと悪態をつく者を見る時、熱心な信仰者は義憤に駆られることだろう。

 

 しかしながら、そのような怒りの感情を覚える時にこそ、神への信仰と不信仰の境界線があることを覚える必要がある。神はどのようなお方なのか。それは、神の救いの恵みを台無しにするほどの罪人さえ愛し、慈しむお方なのである。そのことは主イエス・キリストによって明らかにされた。

 

 私たちは、この主イエスによって顕にされた神を信じる者となりたい。この神を信じるからこそ、私たちはその怒りを支配し、何が救いの道であるか、神の愛をもって示し続けなければならないのである。即ち、私たちの聖なる振る舞いをもって救いの境界線を示し続ける必要がある。

 

 私たちは、十字架の上でなお神を信頼し、人々の救いを願う主イエスの聖なる光の内に留まり、人々の救いのみを願う者となろう。私たちの聖なる生活が、人々を断罪するものであってはならない。罪びとの救いを愛する主イエスを信じる信仰によって、私たちの聖なる生活が、罪ある者を招き寄せるものとなるよう、今日も新しい信仰を祈り求めよう。

先週の説教概要

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