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2025年1月26日 礼拝
説教概要
恵みと平安の祈り
小泉智師
ガラテヤ書1章3節ー5節
恵みと平安をパウロは祈ります。ただの慣用句や決まり文句ではありません。恵みとは、救いのことなのです。キリストが今の悪の世から救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお渡しになられたことが証言されている通りです。
救いの結果として、平安が与えられます。神様との交わりから来る平安。たとえ、いい言葉であろうと、うまくいく保証が告げられようと、罪の赦しがないところでは、全く別の平安が作られてしまいます。偽りの平安では、不安や心配を取り除くことはできません。
恵みと平安を与えることは、神の意志です。人は神の意志を無視したり、否定しようとするなら恵みも平安も生まれません。神は私たちを子とみなし、ご自分のことを父と呼んでほしいと望んでおられるのです。そのために、神を父と呼ばせる、霊である聖霊を私たちの心に送ってくださいました。
即ち、父、御子、み霊の三位一体の神が総がかりで役割を果たして救いが成し遂げられました。この救いから決して逸れてはいけません。この救いを軽んじて、福音だけでは足りないかのように何かを付け加えようとすることは愚かです。
救われた私たちのなすべきことは神をほめたたえることなのです。今日、私たちが礼拝において賛美を捧げるのもそのためです。しかも永遠から永遠にとあります。
地上の営みはすべて過ぎ去ります。しかし、ただひとつだけ天上においても継続するものがあります。それが礼拝です。その時には世界中のあらゆる時代の聖徒とともに主をほめたたえることになるでしょう。言うならば、地上の礼拝とは天の礼拝の本番の予行演習とも言えます。この神に栄光が永遠にありますように。
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