2024年1月21日 礼拝
説教概要
きょうが決断の日
小泉 美早子牧師
詩編95篇
今日、神のみ顔の前に出るように。救いの神、人生の堅固な岩である神です。賛美しながらこのお方の前に出ます。そもそも私たちは神様の前に出られる存在でしょうか。むしろ神を避け、自分の人生は自分で決めるとばかりに勝手に生きようとするのが人間ではないでしょうか。もしも、そういう者が神のみ前に出られるとするならば、それは神に招かれてとしか言いようがない。
自分の人生と言いながら、自分の思い通りにならない人生です。人生どころか自分の顔ですら、自分で見ることはできない。間接的にしか覗けない。顔に限りません。神なしに生きられないほど、私たちの歩みは御手の中にあるとしたなら、神への感謝が生まれ、賛美が生まれ、歌が生まれる心のありようは、よくわかるのです。
告白はさらに続きます。主は天地万物を創られたお方だと言うのです。ここで地の深いところ、高い山の頂、海が出てきます。当時、これらは神の支配領域ではない不気味な所という理解があったためです。思いもよらないそこでさえ、主の主権の下にあるのです。弱い羊のような私達も、力強い神の手で養われています。
しかし、人間は愚かです。きょうとここでは歌われています。きょうと言うからには、今までは間違えてきたのです。メリバやマサとはそういう罪を思い出させる地名です。神に対して心をかたくなしにし、従うことができなかった。しかしそういうどうしようもない者に新しいきょうが神に与えられている。これも恵みの事実なのです。
たとえ、今までの歩みがどうであれ、主はきょうを用意して下 さる。きょう、決断ができるように。こういう恵み深い呼びかけにどう応じたらいいでしょうか。出ましょうか。神の御前に。わたしの人生はあなたのものですとの告白とともに。