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2025年1月5日 礼拝

説教概要

風穴を開けて

小泉美早子師

マタイによる福音書1章4節ー17節

 マタイの福音書は味もそっけもない名前の系図から始まるのが不思議です。しかもイエスキリストは歴史的に実際におられた方であると同時に、スキャンダルまみれの系図です。

 

 これは昔の外国の話ではなく、どんな幸せそうに見える一家にも、悲しみや苦しみ、暗い面があることを示しています。もしかしたら私の家族にも似たところがある。私の家族の物語と言ってもいいかもしれません。しかし神はこのような家族を見捨てず、神を仰いでもう一度人生をやり直せと語りかけておられます。

 

 この系図にはイスラエル建国のダビデ王の名が出てきます。しかし、聖書は情け容赦なく王が部下の妻欲しさに、部下を密かに戦場で葬り去った人殺しの過去をぶちまけます。後にダビデは自分の罪の恐ろしさに震えおののき詩編51篇を歌います。誰でも一皮剝けば残酷で恐ろしい顔を持っていたりします。

 

 誰しも人生のどこかで挫折を味わい、自分の姿に打ちのめされ、誰かを傷つけ、苦しめます。自分はここまでひどい人間かと思い知らされ、それを通して神の憐れみと赦しに出会うということを通るのかもしれません。神は自分の情けなさにうずくまる人とご一緒して下さいます。

 

 ダビデ以降の歴代の王も神に背き続けたために国力は落ち、遂にイスラエルは滅び、外国の属国になり、人々は散り散りになってしまいます。王家の血筋が途絶え、歴史のかなたに消え去った一家でした。しかし神は忘れず、そこから救い主がお生まれになるとは誰が思い描けたでしょうか。

 

 人生も同じかもしれません。勢いづく時、落ちる時があります。人生に立ちはだかる大きな壁に、風穴を開けるように主は突如として働かれます。主はどんな苦しみにもご一緒です。

​前回の説教概要

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